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オーナーが語る、お店の誕生ストーリー

ドイツNATO空軍基地へ

2004年、私はヘッドハンティングを受け、横浜で海外引越コーディネーターとして働いていました。
海外・日本駐在の政府高官、外資系企業社員や公的機関職員の引越荷物を、海外の引越業者と協力して輸出入するという業務でした。

その時、担当したイギリス人とジャマイカ人のご夫妻の引越。日々のやりとりから親しくなり、横田米軍基地内の自宅に招かれました。夫ポール氏は、基地内でアメリカ車販売代理店を営み、職場を案内してくれるとともに、その仕事の面白さを話してくれました。そして「ドイツで一緒に仕事をしないか?」と声をかけられたのです。海外で自分を試したい気持ちと、就労ビザの保証人ができること、そして「独立するまでサポートする」という心強い言葉に入社試験を受けました。
筆記試験と面接試験に合格した私は、当時勤めていた会社を辞め、ドイツ行きを決めました。
海外での就業。これまでの経験と努力は、日本以外の国での仕事において、どれだけ通用するのか試してみたいという念願の夢が、叶った瞬間でした。

出発直前まで、様々な書類や手続きに追われる日々。ドイツのNATO軍事基地で、アメリカ車販売代理店として日本人が働く、という三カ国に渡る軍事協定にまで関わる複雑な構造に、外務省の助けが大きな後押しとなりました。

2005年10月。NATO軍事基地「ラムシュタイン」へ。

そこは、在欧アメリカ空軍とNATO連合軍司令官のアメリカ空軍の本部として機能し、約3万人が働く大規模な基地。敷地内には、幼稚園から大学院、住宅地、ホテル、病院、ショッピングモール、映画館やボーリング場、教会にスポーツジムまで備わり、大都市のように壮大でした。

私の職場は、販売代理店の同僚とシェアオフィスと、その前にある屋外のショールーム。仕事は、モデル車に興味を持つ軍人客に話しかけて売り込み、販売分が給与となる、完全出来高制の営業販売です。

同僚は、主にイギリス人。アジア人で英語を母国語としないのは、私だけでした。

販売するのは、フォード、クライスラー、ジープ、ダッジ、ハーレー・ダビッドソンのバイクなど。毎日外に立って、通り行く人に、とにかく話しかけて興味を持ってもらうことから始まります。どの車を勧めるかは、軍の階級を示すバッジから経済状況を判断し、効率よく販売しなくてはなりません。同僚とお客を取り合うこともありました。

真冬のドイツは、マイナス10度になることもあり、片足ずつコートの中に引っ込めて暖を取りながら、毎日8時間以上屋外に立ちます。1時間おきに、車から雪下ろしをしました。
寒さをしのごうと同僚たちと雪合戦を始め、それがお客様を巻き込んでの白熱接戦に展開。基地の責任者に怒られたことも、良い思い出です。

ラトビア空軍大尉から受け取った手土産。

ある日、話しかけたお客様は、車好きな将校。彼の通勤経路に私の職場ショールームがあることから、話をするようになりました。聞くと、2004年のNATO加盟により、唯一のラトビア空軍として、ドイツに駐在していると言います。
話すうちに、お気に入りの日本食レストランがあるから一緒に行こうと誘われました。
ラトビアについて知識のない私は、勝手な妄想が広がります。旧ソビエト、KGB、共産圏・・・何だか怖い、誘拐されたらどうしよう。しかも、日本人を和食に誘うのは、日本人を油断させてだます常套手段・・・・。警戒態勢に入りました。

けれど、彼の人柄や、一緒に会話をする中での同僚や友人、上司夫妻の意見をうかがい、さらに将校の身分ならば軍での身元も確かだと分かり、友達になりました。

ラトビア帰省の手土産。それがステンダースの石けんとバスボールでした。冬はマイナス10度にもなるドイツで、毎日屋外で震えながら立つ私に「ゆっくり温まりなさい」と、温かい心遣いでした。

ステンダースとの出逢い

包み込むような良い香りが広がる箱を開けると、石けんと入浴剤がドライフラワーに彩られています。肌の弱い私は、「日本製でない」というだけで肌が荒れる気がして心配になりながら、恐る恐る使ってみました。

ドイツの硬水でも生クリームのように泡立つ石けん。広がる優しい香り。そして、洗い上がりの肌は荒れるどころか、もっちりと潤い、乾燥しません。バスボールを湯船に入れると、シュワシュワッと発砲し、上品な香りがバスルームに広がります。表面に浮かぶオイルに驚きましたが、お湯が冷めにくく、湯あたりがまろやかです。そして、雪の中で1日中立ち続け、冷えた私の脚に生気が蘇ります。「すごい!」しかも、そのポカポカは持続し、ぐっすりと眠れました。

彼に話すと、「商品だけではないんだ!お店のデザインもステキでね、天井からはドライフラワーが釣り下がり、石けんが色とりどりに並んでいるんだ!今度、写真を撮ってくるよ!」

愛国心たっぷりに、ラトビアの商品を誇りに思う様子が伝わってきます。
その後、彼は3ヶ月間アフガニスタンへ赴任しました。

日本にお店を作ろう!

2006年6月アフガニスタンから帰国した大尉と、日本でステンダースのお店が出来ないかと話すようになりました。3万人のうちのたった一人のラトビア人とたった一人の日本人がドイツで出逢う確率の希少さとステンダースの商品に、お互い何かの必然性を感じたからです。そこから盛り上がる日本で発売する「ステンダース」の話と、軍人である彼は「ビジネス」という言葉の響きに目を輝かせていました。

私が帰国して2ヶ月たった10月のある日、彼が大興奮で電話をかけてきました。
「幼なじみが投資するから、権利を買って大阪にお店を作ろう!」
そこから怒涛の展開が・・・

極寒のラトビアへ行く

2007年2月。マイナス20度の極寒がどれほどか想像もつかぬまま、情熱と調査資料を持ってステンダースの本社ラトビアへ、日本での出店交渉に行きました。

日本人と話すことが初めて、という社長と担当者に、どのように日本市場を理解してもらうか・・・。日本に行ったことのないラトビア空軍大尉と、彼の幼なじみも必死に説得します。

私はステンダースを最大限学びたいと店舗研修を願い出て、思いつく限り、しつこいほど質問攻めをし、たくさんの情報を集めました。

その熱意と行動力が「この日本人はやるぞ!」という信頼に繋がったと、後で知りました。

決意

帰国後、整理をしながら出店プランを考えていると、空軍大尉から電話が。
「ロシアの投資家が日本市場を狙っているらしい!だから、先に出店しなくてはいけない。5月にオープンだ!」慌てて物件探しが始まります。
出店予定まで3ヶ月を切る中、すぐに不動産会社を8社巡り、60件以上の物件情報に目を通し、20件を現地確認。絞り込んだ3物件は、現地で日を変え、時間を変え、毎日人通りを調査しました。契約を決めたのは、忘れもしない2月14日。
レジはどこで買うのか、内装業者はどうやって見つけるのか、販売計画、コスト計算と値決め、販売促進とマーケティング、未経験のことばかりです。中でも、個人での薬事法と輸入許可には本当に苦労しました。これまでの経験を、かき集めて思案、行動。問題しか起きない毎日。うまくいくことなんて、ひとつもありません。解決していくのみです。決意と粘り強さが頼りでした。

2007年5月 大阪のオフィスエリアにアジア1号店をオープン

もとは自転車屋だった物件。赤と白だったテントを自分で少しずつ、緑色に塗り替えます。店舗のガラスドアは、予算と相談してデザインを調整。そして最後に、看板が付きました。

日々少しずつ変化する様子に、当店が佇むオフィス街の皆様が興味を持って話しかけてくれました。しばらくすると、ラトビア人の家具職人が店内で家具を組立て始めます。数日後、あたり一帯が良い香りに包まれ、香りの所在を確かめようと周囲を見渡しながら歩く人の姿が。40フィートのコンテナでラトビアから送られてきた石けんと入浴剤が店内に、次々と運び込まれます。

語りきれない物語が詰まったお店が、オフィス街に誕生しました!

2016年1月 オリジナルブランド「ラトビア・ヘイズ」が誕生!

ラトビアを訪れる度に出逢う新しい商品、膨らむイマジネーション。ステンダースに加えて、他にも素晴らしい商品を提供したいという想いが溢れました。 ステンダースを日本に上陸させて10年を目前にした頃、新たな決意をしました。

「自分が良いと思う商品を、自分のブランドを立ち上げて、取り扱おう!」
現地の会社を訪問し、商談を重ね、新たなブランドを取り扱い始めました。 それでは、満足できず、私自身が考えるレシピやコンセプトを形にしてくれるラトビアのメーカーを見つけたのです。

サンプルを何度も作り、日本とラトビアを行き来し、想いを込めて作る商品ばかりです。
例えば、日照時間が少ないラトビアでは、太陽を神様とあがめる自然信仰があります。北欧ならではの緩やかな太陽の光、優しく明るい香りをイメージした石けん「サンライト」
アールヌーボーの世界遺産建築が並ぶラトビアの首都リガの旧市街。ロマンチックな雰囲気をイメージした石けん「ロマンティック・リガ」
ラトビアで生まれた知恵や製法、素材だけでなく、そこに暮らす人々と出逢い、関わる中で生まれる感性や発見を商品の一部と考え、ラトビアで手作りすることにこだわっています。

横浜からイギリス人と渡ったドイツの空軍基地。ラトビア人からもらった手土産。人生どこで誰と出逢い、どうなるか分からない。でも、こうなりたいと思い続けること、チャンスをつかむ準備をすること、決意すること、粘り強く続けること、出逢う人を大切にすること、そうすれば想い描く未来に人は進んでいくと思います。

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